レスキューファンデーション報告
和訳:新倉元彦
秘文書
救出/手入れ
報告
−開放作戦−
2008年1月7、8日
 お断り
 この報告は特定の受取人だけが使用できるものであり、秘密事項や特別な情報を含む場合があります。
 承認なく論評・使用・開示・配布することを禁じます。
 すべての著作権はレスキュー・ファンデーションに帰属します。
 もし貴殿が対象となる受取人でない場合は、送り手にeメールで連絡の上、元資料とすべての写しを廃棄願います。

   謝辞 

 本件について秘密情報を提供してくださった方々、2008年1月7、8日の救出作戦を支援してくださった方々すべてに感謝の意を表します。

 特に、我々の作戦をタイミングよく援助し、共同で作戦を遂行してくださった、デリー警察、アンドラ警察、STOP(デリーに拠点を置く現地NGO)にお礼申し上げます。

 また、我々に資金提供や支援の手を差し伸べて下さっている方々に厚くお礼申し上げます。
 情報提供やこの任務を陰で支えてくださった方々の援助に深く感謝いたします。この方々のお名前等は明らかにできませんが、そのご協力なくしてはこの任務は決して達成できませんでした。

 更に、レスキュー・ファンデーションのスタッフの、絶えることのない真摯なご支援に感謝申し上げます。

感謝を込めて

レスキュー・ファンデーション
代表 トリベニ・アチャルヤ


 件名: デリーGBロード赤線地帯からの2少女救出
 日時

 2008年1月8日、2人の少女がデリーの悪名高い赤線地帯のGBロードから無事救出された。
 調査と救出実行についての詳細を以下に記す。

 情報源

 プーナ大学の学生ヴィクラント氏からレスキュー・ファンデーションに情報が入った。2007年9月に、売春を強要されているカンチと言う名の少女に関するものだ。
 
ヴィクラントはプーナのプタワルペット赤線街に行き、新しいビルの2階でカンチと出合った。カンチは自分の身の上話をし、家に帰りたいと言った。

 この後、ヴィクラントはマイティ・ネパールに手紙(eメール?)を書いてカンチを売春宿から助け出して欲しいと要望し、彼の携帯電話番号も記してきた。このeメールは2007年9月に、マイティ・ネパールの副代表、ビシュワ・カトカ氏から、レスキュー・ファンデーションに転送された。

 代表者のトリベニ女史は、マイティ・ネパールのeメールに記されている事柄について調査するよう、我々の調査官に伝えた。トリベニ女史はカンチの居場所と出生地についてもう少し情報を得ようと、ヴィクラント氏に連絡を取った。彼は求められた情報を、トリベニ女史に提供した。

 調査

 ヴィクラント氏から詳細な情報を入手してから、トリベニ女史は調査官のサントッシュ氏に、プーナにある売春宿の所在地を調べ、その少女を捜すように言った。サントッシュ氏はその宿を訪ね、カンチの話を聴いた。
 我々はヴィクラント氏から、カンチの隣の部屋にいる友達ディパもこの売春宿にとらわれていて、そこから抜け出したがっているということを知った。

 サントッシュ氏はディパについて調べようと、再びその売春宿を訪問した。ディパはカンチの隣の部屋に居た。彼はカンチにも話を聴いたが、彼女は非常におびえていて、調査官の前で自分の素性を明かしたがらなかった。 サントッシュ氏は同じ日にカンチの所にも行き、隠しカメラで彼女との会話を記録しようとした。しかし、運悪く売春宿の主人(以下、ガルワリ)につかまってしまい、やっとのことで逃げ出した。

 一連の調査活動の後、我々は救出作戦を行う決定をした。カンチはヴィクラント氏を良く知っているので、少女の救出作戦を手助けしてくれるよう、我々は2007年10月4日にヴィクラント氏に連絡を取った。しかし、彼は 救出作戦に同行することを望まなかった。自分の素性を知られることを多少恐れていたからだ。

 その日の夜、ファラス・カーナ警察署の助けを得てプーナの売春宿の手入れが行われた。(我々は警察にカンチとディパ救出のFIR「正式調査要請書」を提出してあった。) その時、ディパは見つけ出せたがカンチは見つからなかった。 そこで、トリベニ女史はサントッシュ氏に、直ちに彼の身分を明かすとともに、ガルワリ側の人間達がサントッシュ氏を傷つけようとしたことを示すように伝えた。(その結果、)ディパは警察署に連れて行かれた。

 ファラス・カーナ警察署の上級検査官V.T. パワル氏がディパを尋問した結果、彼女は18歳以上であり、売春宿に留まる権利があるとの結論に達した。 それから我々はカンチを捜し出すように要請したが、警察は一緒に売春宿に行ったが彼女はどこにも居なかったと言った。それで、隠しカメラのビデオ映像を見せた。すると、上級検査官は指揮命令権のある警察官ビドゥウェ女史に檄を飛ばした。彼女は他の警察官とともに少女達の居場所をたどり、連れ戻した。

 ヴィクラント氏が警察に居なかったのでカンチは救出されることを拒み、自分の意志で売春宿に居たのだと言った。それは彼女がガルワリに完全に洗脳されていたためだ。ディパも自分の意志で売春宿に居たのだと同じことを言ったので、我々の救出作戦は失敗に終わった。



(第1回の)救出作戦後
 我々の調査官アショーク氏はこの後、15回プーナを訪れ2少女を捜し続けたが、2人が以前居たビルでは見つからなかった。

 12月の第1週に、赤線の客アエロン・パトレ氏がレスキュー・ファンデーションに、カンチとディパが居た同じビルにマヤという名の少女がとらわれていると伝えてきた。アエロン氏は数回マヤの所に通って彼女の家の住所を聞き出し、ダージリンの家を訪問した。それから彼女の家族に会い、マヤを助け出そうと父親をムンバイに連れてきた。

 我々はアエロン氏から何かカンチとディパの情報が得られないか努力した。彼は2人を見たことはあるが、この2ヶ月間は見かけていないので、居場所の手掛かりはないと語った。

 その後、アショーク氏はクマール氏という、例のビルの常連客を見つけ出した。クマール氏は始終この売春宿に行っており、ガンガと言う名の少女がお気に入りだった。驚いたことに、ガンガはカンチとディパの友達だった。ガンガはクマール氏からプレゼントとして携帯電話をもらい、2人はデリーの赤線地帯GBロードにある売春宿に移されたと話した。マヤもデリーに移されていた。

 2007年12月23日、調査官のアショーク氏、サントッシュ氏と情報提供者のクマール氏がデリーを訪れた。多数の売春宿を調べ、ついに64番ビルの3階でカンチとディパを発見した。アショーク氏は、ディパからネパールの住所を聴きだした。カンチはこの売春宿から助け出して欲しいと言った。残念ながら、マヤはこの宿では見つからなかった。

 2007年12月28日、調査官達はムンバイに戻った。2007年12月31日、サントッシュ氏はネパールに行き、ディパの家を捜した。トリベニ女史はネパールでは彼の身分を知らせないようにと指示した。 サントッシュ氏はディパの家を訪問し、カンチとディパが実の姉妹であることを知った。 すぐにサントッシュ氏はトリベニ女史に電話をして、この事実を伝えた。

 トリベニ女史はサントッシュ氏に、少女達の母親や親戚とは別々にネパール国境に来るよう指示した。さもないと、トラフィッカー達がサントッシュ氏に気づいてしまう危険があるからだ。 2008年1月6日、サントッシュ氏は少女達の母親ともう2人の親戚と一緒にデリーにやってきた。

 同じ日、トリベニ女史と調査官のアショーク氏は電車でデリーに向かった。 2008年1月7日早朝、2人はカンチとディパの母親に会い、少女達についての詳しい情報を入手した。
 

(最終の)救出作戦
 情報を入手して、トリベニ女史はデリー警察の犯罪担当セクションの責任者であるサティシュ・ガルグ氏に会い、手入れの計画をたてた。ガルグ氏は、アンドラ州警察も同地区の手入れを望んでいると伝えた。

 また、レスキュー・ファンデーションがアンドラ州警察に協力して手入れをするつもりなら、GBロード赤線地帯すべてが対象になるだろうと述べた。幸いなことに、アンドラ州警察の署長のスマティ女史が席に居て、2008年1月3日に彼らはレスキュー・ファンデーションと一緒にプーナで手入れをして成功したと語った。そのため、彼女はレスキュー・ファンデーションと一緒にデリーの手入れすることを歓迎した。

 手入れ実行は夜7:30と決まった。デリー警察とアンドラ州警察から200人の警察官、レスキュー・ファンデーションから5人、STOP(デリーに拠点を置くNGO)の人達、カンチとディパの母親と親戚の構成で8:30にアンドラ・バワン(売春宿の入るビル)から手入れが始まった。

 警察は、情報が漏れないように全員から携帯電話を没収した。

 この夜ずっと、情報提供者のクマール氏は売春宿でカンチの相談相手をしていた。 残念なことに手入れの情報が漏れてしまい、64番地のガルワリ、チャヤは我々の情報提供者に逃げるよう言い、カンチとディパを隠してしまった。

 真夜中の12時までカンチとディパが見つからなかったので、チャヤは警察に連行され、2人の少女について訊かれた。長時間の尋問の末、チャヤは2人を他の場所に移したことを認め、抵抗を止めて2人を翌朝引き渡すことになった。

 2008年1月8日早朝、トリベニ女史はチャヤ、2人の調査官、少女の家族、警察官とともにデリーのボート・バザール、パンジャーブ・バスティ、マンジュ・ティラという場所に行って2人の少女を捜した。3時間の捜索の末に少女達を見つけ出したが、チャヤを逮捕することはできなかった。なぜなら、チャヤは訴追されないことを条件に2人の少女の情報を提供し開放することにしたからだ。

 それからカンチとディパは母親と再会し感動して抱き合った。これは素晴らしく感動的だった。娘達が既に死んだと思い希望を失っていた母親の目の前に、18ヵ月後に姿を現すなんて胸が一杯になることだ。 彼女は大きな声を上げて泣いた。 2008年1月10日、少女達は母親と一緒にムンバイに連れて行かれた。現在この少女達はレスキュー・ファンデーションの保護施設に滞在している。

 この少女達に関わったトラフィッカー達は、我々から厳しい扱いを受け、刑務所入りとなるだろう。

 救出された少女達の氏名と住所:
 1. カンチ(18歳未満 ・ネパール出身)
 2. ディパ(18歳未満 ・ネパール出身)
 

 お断り

 この報告は特定の受取人だけが使用できるものであり、秘密事項や特別な情報を含む場合があります。

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すべての著作権はレスキュー・ファンデーションに帰属します。
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