〜インドとネパールの女性と子どもたちの未来のために〜
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ご参考
(参加者の感想文など) 
 
第25回  2007年春のスタディーツアー報告
★第24回  2006年夏のスタディーツアー報告
★第23回  2006年春のスタディーツアー報告
★第22回  2005年夏のスタディーツアー報告
★第21回  2005年春のスタディーツアー報告
★第20回  2004年夏のスタディーツアー報告 
★第19回  2004年春のスタディーツアー報告  
★第18回  2003年夏のスタディーツアー報告  

2006年夏スタディツアー感想文 1 2 3 4 5 6 7
  ♪旅程(2006年夏) ▲TOPへ
8/19(土) 午前 成田空港より出発
午後 バンコク着、ホテルへ
タイ古式マッサージ体験(希望者)
8/20(日) 午前 バンコク発
午後 カトマンズ着、ホテルへ
夕刻 子どもたちへのプレゼントのお菓子とビーズ素材の仕入れお菓子セット作り
8/21(月) 午前 マイティ・ネパール本部訪問
午後 カトマンズ発、カカルビッタ着、トランジット・ホーム訪問
夕方 支援物資仕分け、お菓子セット作り
8/22(火) 午前 トランジット・ホーム訪問
午後 旧ホスピス訪問
8/23(水) 午前 トランジット・ホーム、旧ホスピス訪問
午後 カカルビッタ発、カトマンズ着
8/24(木) 午前 マイティ・ネパール本部訪問:女性と子どもの保護施設・職業訓練施設・小学校などを視察
午後 新ホスピス訪問(ビーズ検品)
夕刻 お菓子セット作り&寄付物仕分け
8/25(金) 終日 新ホスピス訪問(ビーズ指導)
8/26(土) 終日 ホスピスのみんなと交流プログラム:動物園と映画館へ
8/27(日) 午前 フリータイム:パシュパティナート、ボダナート観光(希望者)
午後 フリーマーケット商品の仕入れ
8/28(月) 終日 ホスピス訪問:交流プログラム(ランチパーティー)
8/29(火) 午前 NDWSデイケアセンター訪問
午後 支援物資分配、休息、フリーマーケット商品の仕入れ
8/30(水) 終日 フィールドワーク:NDWS・CBRプログラム対象家庭訪問
8/31(木) 午前 新ホスピス訪問
午後 カトマンズ発、バンコク着
バンコク発
9/1(金) 早朝 成田空港着、解散
1:「スタディツアーに参加して」

大和久さん
(神奈川県 学生 男性)
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初めへ
@ 自分が今回のスタディツアーに参加した理由は、たまたままり子さんの本を読んだのがきっかけだった。それまではボランティアというものになんとなく興味はあったものの、いつやる、何がしたいといった具体的な計画もなければ、NGOがどんなことをしているのかもよく知らなかった。

 スタディツアーというものを知ったのもその本を読んでからだった。さらに今回自分が行くことになった国はネパール。自分の中では貧しくてボランティアが必要なアジアの国といえばインドやカンボジアなどで、ネパールから連想されるのは、国旗が変な形ということぐらいしかなかった。

 途上国に行くのも初めてで、ネパールの町を見て、生活レベルの違いに驚いた。町全体がなんとなくほこりっぽく汚いし、人々が着ている服もきれいなものではなかった。
A 小さな子供が商品を持って、「カウ?カウ?」と寄ってきたこともあった。日本の子供は食べ物に困ることもなく当たり前のように学校に通う。商品を売り歩いていたその子がどんな子なのかわからないが、その子の方が自分より生きていくことの大変さをわかっている気がした。

 最初に訪問したのは大半が精神疾患の女性だという旧ホスピスの方。精神疾患の人なんて日本では関わったことがない。やはり最初は戸惑った。

 バックグラウンドが違いすぎて何を話したらいいのかわからないし、そもそもネパール語がわからない。たとえネパール語がわかったとしても、精神疾患の患者とうまく意思の疎通ができるのか不安だった。
B しかし、お菓子をあげたり、一緒にダンスをしたりすると、彼女たちが楽しそうにしているように見え、ほっとした。マイリーがお菓子をくれたことも、初めはまり子さんや前回も訪問している西村くんほどそれがどんなにすごいことなのかわからなかったが、自分たちを敵ではなく仲間としてみてくれるように変わった証拠で、こちらの意思が少なからず伝わっているのだなと実感できた。

 後から訪問した新ホスピスの方は活気がありにぎやかだった。女性たちとは言葉はわからないが、目が合えば笑ってくれるし、楽しそうにダンスをしたり、指導を受けながら一生懸命ビーズの作品を作ったりしているところを見て、こちらも楽しくなった。

 子供たちとも言葉は通じないがギャーギャー走り回っていればそれだけでとても楽しい。「ダイッ、ダイッ」と言って寄ってくる子供たちは本当にかわいかった。女性たちも子供たちもそれぞれの背景を知らなければ、どこにでもいる普通の女性、子供に見える。

C しかし彼女たちはまるで人として扱われず、商品のように売られ、強制的に売春宿で働かされた過去がある。HIVに感染した子供たちは10歳まで生きられるかさえわからない。ふとその事実を思い出すと心苦しかった。

ラリグラス・ジャパンの主な支援対象は人身売買の被害者の女性である。もちろん自分自身は人身売買の周旋人や売春宿の客とは違うと思っているが、被害者の女性から見れば自分も同じ男性なのではないか。

 被害者の気持ちを女性ほど理解してあげられないのではないか。男性である自分はなにかしてあげられることがあるのかずっと不安だった。しかし、やはり言葉は通じないのだがジェスチャーでなにか伝えようとしてくれたり、一緒にダンスやゲームをしたりしているうちに、その不安はなくなっていた。

D まり子さんの言うように、彼女たちが父親や兄のような存在を欲していて、自分がそれに応えられていたなら、うれしい。もしかしたら自分はむしろ父親や兄というより、弟や子供のように見られていたかもしれないが、それでも彼女たちと一緒に笑ったりして楽しむことができた。

 蛇口をひねっても飲み水が出てこない、病院に簡単に行くことが出来ない、車椅子に乗っても走れる道路がないなど、日本と大きく違う環境を自分の目で直接見られたことはとても勉強になった。頭の中で想像していたものがより現実的に理解できたと思う。

 まり子さんが常に言っていた、継続が大切ということもまた、ツアー中に少しずつ理解できてきた。支援する相手の国、バックグラウンド、障害や病気のことを知っていくためにも、逆に相手から自分たちのことを理解してもらうためにも継続することが大切。
E 今回初めて訪問した自分を受け入れてくれたのも、ラリグラス・ジャパンの長い支援があったからだろう。また相手のことをよく理解せずに、支援しようとしても相手がなにを本当に求めているのかわからない。今回自分は、発展途上国が抱える問題や過去について、支援するということについて知らないことがたくさんあることを実感した。

 もっとそれらのことを知って、そして自分の目でいろいろな国を見てみたい。これからの大学生活や人生全体に対する考え方を変えるきっかけになったツアーになったと思う。経験したことがないことばかりで本当に楽しかった。
2:「スタディツアーに参加して」

金子さん
(東京都 学生 女性)
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初めへ
@ 私は、以前から東南アジアにおける子供の人身売買の問題に関心を持っていた。そのことが直接のきっかけとなり、今回のスタディツアー参加に至った。ネパールにおいて、少女が売春宿へと売られていく問題は今なお存在している。ツアーが開始し、この問題の深刻さを痛感した。

 しかしホスピスの女の子たちとの交流の際には、このツアーが重いテーマであることをほとんど感じなかった。彼女たちはよく笑っていた。また、私たちは存分に楽しい時間を共有できたからである。

 一方で時折、今いっしょに遊んでいる少女の境遇が私たちとあまりにも異なること、彼女たちがここにいる理由が頭を過ぎることも確かにあった。彼女たちは人身売買の被害者であり、その結果今この場所にいるのだ、と。彼女たちにどう接するのが一番良いのか、他のメンバーも私と同じように戸惑うことがあったようだ。

A しかし、とにかく彼女たちと一緒に楽しい時間を過ごせれば、それだけで私たちの来た意味があるのだといったまり子さんからの助言があった。その言葉で迷いは吹っ切れた。そして自然に、彼女たちと楽しもうといった感情が生まれた。

 また、私たちが心から楽しもうとしなければ、彼女たちも楽しむことが出来ないとわかった。言葉が伝わらなくても、相手に対する想いや好意は伝わるものだと感じた。雰囲気や表情からの情報で不思議と交流しあえた。実際、言葉を介さないジェスチャーによる「会話」のほうが多かった。

 そして、ジャーナリストでもあるまり子さんから聞くのは、驚くべき話ばかりであった。特に驚いたのは、NGOの内部事情であった。
B その話を聞いて、NGOに対するそれまでの私の見方は覆された。私は、NGOの人々は皆良い人ばかりであると思い込んでいたが、それは誤った認識であると分かった。

 貧しい国におけるNGOは、民間組織と同様の性質を備えており、お金儲けを目的に運営している団体もあるということなどを知り、非常に驚いた。それから、まり子さんからは支援する側の取るべき態度、正しい姿勢を教わった。支援しているNGO側からの「ありがとう」と感謝されるために援助しているわけではない、という言葉も印象に残った。

 また、二週間をネパールで過ごし、日本での私自身がいかに恵まれているかを実感した。親に大学まで行かせてもらい、未だにお小遣いをもらう生活が当然となっている。

 学ぶ機会も十分に与えられているのに、それを全く生かしきれていない。そういった自分自身の生活態度を恥ずかしいと思った。そしてホスピスの女の子たちは、普段は制限された生活の中で臨時収入となるビーズ製作に精を出していたのを思い出す。

C 私は日本で生活している中で、意欲さえあればなんでも出来る環境にいるのに、ただ日々の生活をこなし時間を無駄にしている気がした。日本での恵まれすぎた環境が当たり前になっているが、これが必ずしも当たり前の生活ではないことも感じた。このことを忘れてしまったら意味がないので、何かに一生懸命になり、毎日を充実したものにしていくといった意識を持ち続けたい。

 このツアーでは、ネパールにおける人身売買の現状をこの目で見れたことが大きな収穫であった。あまり知られていないこの問題を出来るだけ多くの人に伝えていきたい。中身の濃い、貴重な二週間を経験させてもらったと思う。ありがとうございました。
3:「スタディツアーに参加して」

菊地さん
(東京都 学生 女性)
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初めへ
@ 私は以前から人身売買や少女売買春の問題について興味を持っていたのですが、ネパールで人身売買や少女売買春が問題となっているということは知りませんでした。一昨年、この事実をラリグラスのホームページで初めて知り、驚きました。

 というのも、タイなどでの人身売買・売買春はよく耳にしますが、ネパールでも問題になっているというのは聞いたことがなかったからです。

 それ以来、ネパールの人身売買の問題に興味を持ち、いつか絶対このツアーに参加したい、と思っていました。そして今回、ようやくそれを実現することができました。

 初めて被害者の女性と接することができたのはカカルビッタでした。人身売買被害者である上に、重度の精神疾患を抱えている彼女達と、一体どのように接すればいいのか…しかも私はネパール語がわからない…。ポスピスに到着するまで、不安でいっぱいでした。
A いざホスピスに着いても最初はなかなかコミュニケーションが取れずに苦労しました。しかし、私はコミュニケーション手段を見つけたのです!それは…ダンス!!!私は運動音痴の上にダンス経験などもちろん皆無。いえ、そんなことは全く関係ありません。

 とにかく楽しければいいのです!!私達が一緒に踊って「楽しい」と感じれば、彼女達も「楽しい」と感じてくれていることがわかりました。ダンスと笑顔で言葉の壁は超えることができると思いました。

まり子さんから、前回、旧ホスピスを訪問したときはとても悲惨な状態であったと聞いていました。しかし今回は女性たちの精神状態は落ち着いており、前回の訪問時には他者とコミュニケーションが取れなかった女性がダンスを楽しんでいるなど、確実にホスピスの環境が良くなっているのを感じとることが出来ました。スタッフ不足などの問題もありますが、このまま良い方向へ向かってくれることを願ってやみません。

B カトマンズのホスピスでも、女性や子供達は私達を暖かく迎えてくれました。子供たちはとても元気で明るくて圧倒されました。遊んであげるというより、私のほうが遊んでもらっていたという感が否めません…(笑)

 今回スタディツアーに参加するにあたって、心がけたのは“笑顔で楽しむこと”でした。あまり自由の利かないホスピスで単調な日々を送る彼女達にとって、年2回のラリグラスの訪問がどれだけ大きなイベントかと考えると、「とにかく楽しませてあげたい!!」と思わずにはいられませんでした。

 彼女達に楽しんでもらうには、自分が楽しめていなければ話になりません。今回たまたまこのツアーに参加した私が、ホスピスの女性や子供たち出来ることといったらこれくらいしか思いつかなかったのです。


C もっとも、訪問中は本当に楽しくて、意識しなくても笑顔で楽しんじゃっていました!一緒に出かけた動物園や映画館、ランチパーティー、ダンス・手品・寸劇などの出し物……今回の私達の訪問が、今頃彼女達のおしゃべりのネタになっていれば、嬉しい限りです。

 NDWSへの訪問も、とても貴重な体験でした。福祉に対する法整備の整っていないネパールで生きていかなければならない子供達を思うと、世の中の不公平さに憤りを感じます。しかし、貧困の中にあっても変わらず子供達を愛する家族の愛情と、子供たちの笑顔にはとても救われる思いがしました。
D 人間は、“機能”と“人格”の二つの側面を持っていると思います。障害を持つということは“機能”に欠陥が生じてしまうことです。ですが、障害があることを理由にして彼らの行動を制限するのは、彼らの人格まで否定してしまっているような気がします。

 たとえ人間としての機能に障害があったとしても、彼らには確かに人格があります。その人格を尊重し、彼らの潜在的な能力を引き出していくことが障害者支援には必要なのではないかと思いました。

NDWSの活動は、対象者一人ひとりの状況やニーズを把握した上で行われており、彼らの潜在的な能力を引き出すことに貢献しているようでした。
E ネパールの人身売買・売買春は途上国間での問題です。先進国の人間が関わっていない途上国の問題について、先進国はあまり関心を示さないと言われますが、ネパールの人身売買・少女売買春はまさにその典型のようです。

 先進国が興味を示さないことは、問題への対策が遅れてしまう一因でもあると思います。しかし、私はこの事実を知ることが出来ました。私が出来ることは本当に少ないと思いますが、今回の旅で見て感じたことを身近な人たちに伝えていこうと思います。

 最後になりましたが、まり子さん、翔子さん、ラジャさん、一緒に参加したみんな、ラリグラスのスタッフのみなさん、そしてネパールのみなさん、本当にお世話になりました!参加して本当によかったです!ありがとうございました!!!
4:「ネパールで見つけたもの」

坂井さん
(大阪府 社会人 女性)
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初めへ
@ 私がこのツアーに参加したのは、もともと発展途上国というものに興味があったこと、自分が行なっている仕事に自信がなくなっていたこと、人との関わり方が分からなくなっていたことなどがベースにあったように思う。

 一年ほど前からこのツアーのことは知っていたが、仕事の関係で2006年夏の参加となった。参加するにあたり、周囲の人からは「何をしに行くの?」という言葉がよく聞かれたが、実際のところ自分でもよく分からなかった。ラリグラスの活動はネットや資料を読み、事前学習も受けた。しかし、何をしに行くかと言う他者からの問に対し、即答できる答えは、出発直前まで自分の中に用意することはできなかった。

 途上国に行くことは初めてで、正直不安は大きかった。戦争も貧困もどこか遠い国の問題で、そのことで困っている人がいても自分には何もできることはないような気がしていた。苦労をしている人を見て、「自分じゃなくてよかった」と、どこかでそんな風に感じていた。

 ネパールの生活と比べれば、私はとても恵まれた環境で育ってきた。今もその中で生活している。きっと一般論で言えば”幸せ“な分類に入るであろう。でも、日本にいた時の私は幸せを感じる心を、生きたいと思う心を失っていた。
A ネパールで私が一番強く感じた事は、”生きている“ということだった。

 ネパールは日本に比べると、とても良い環境とは言えない。しかし、そこに住む人には笑顔があり、活気があり、優しさがあり、生きる力に満ち溢れていた。ラリグラスを通し出会ったネパールの女性たちは、私には想像もできないくらいの経験をしてきている。それでも彼女達は力強く生きていた。そんな彼女達に私ができる最大のことは、共に過ごせる時間を双方にとって楽しく思い出に残るひと時にすることであった。

 その方法として、相手の名前を覚え呼びかけたり、簡単な現地の言葉で話しかけたり、一緒に食事をしたり、一緒に踊ったりした。目と目を合わせて笑い合う中で、私は日本では見失っていたものを見つけることができたように思う。

 私がツアー中に体調を悪くしたとき、当たり前のように心配してくれて、当たり前のように手を差し伸べてくれた女性たち。それは、言葉が通じなくても伝わる何かがあったからではないだろうか。


B 人は誰もが、何か存在する意味をもって生きていると思う。誰かに、何かを一方的に与えられるだけでは、自分の存在価値を見出すことは難しく、生きている喜びが感じられない。人は自分以外の他者と助け合い支え合っていく中で自分の居場所をみつけていくのだなと感じた。

 ネパールの旅でみつけたものは、自分以外の人をまず、知りたいと思う気持ち、相手を理解したいと思う気持ち、一緒に何かを共有したいと思う気持ち、が人間関係の基本を形成していくことだということだ。自分を大切に思うように相手を大切に思えたら、それは自然と言葉やしぐさ、行動に出てくる。

 世界中の一人一人が、この気持ちを大切にしてくれたら、解決できる問題は数多くあるのではないのであろうか。私はこの気持ちに気づくことができたから、もう一度、人と関わっていく仕事に向き合っていこうと決心した。
C 私に沢山のことを気づかせてくれたネパールの女性や子供たちに、もう一度会えるとは約束はできない。でもあなた達から受け継いだこの気持ちを、私は日本で広げていきたいと思う。今、私の隣にいる人から・・・。

 私が最後にみんなに言った言葉を覚えていてくれているかな。「離れた国にいても、同じ空の下、みんなの笑顔と手の温もりは絶対に忘れない」この言葉に偽りはない。ほんとうにありがとうございました。

 最後に、メンバーのみんなに。一番、年長者だったのに、体調を崩し、心配をかけてごめんね。みんなとても個性豊かで楽しかったよ。みんなのこれからの活動を楽しみに、そして心から応援しているね。

 まり子さん、言葉では伝えきれないくらい感謝しています。簡単に言葉で済ませられる規模ではないため、今後の自分の行動で、この感謝の気持ちを伝えていきたいです。
5:「スタディツアーに参加して」

西村さん
(福岡県 大学生 男性)
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初めへ
@ 春の参加に続いて2回目の参加となった今回のスタディツアーは、やはり衝撃の連続だったし、1回参加したこともあり、また違った面から状況を見ることができました。今回、カカルビッタの姥捨て山同然の旧ホスピスを訪問した際、劇的な変化がみられました。

 それは、前回は自分の殻に閉じこもって話さない、食べない、1人じゃ何もできなかったマイリーが、ダンスもできる、お菓子も受け取る、しかも人にお菓子をあげるということまでできるようになっていたのだ。この半年間でここまでよくなるはっきりした要因はわからないが、とても喜ばしいことであった。

 しかし、悲しいこともあった。前回訪問にいたナースが先日死亡したとのことである。代わりのナースとしてカトマンズのホスピスにいたカビータが引き継いでいた。カカルビッタのトランジット・ホームの代表のゴービンダもこれを受け、今では毎日旧ホスピスを訪れ、スタッフ増加の必要性を認識し始めたようだ。
A カトマンズのホスピスでは皆が僕のことを覚えていてくれた。言葉は通じないが今回も子供達、女の子達を笑わせることができた。東京駅で急遽買っていったストッキングをかぶり登場しました。たぶん喜んでくれてたはず・・・。次、行く人にはぜひともゴム風船とアフロヘアー、鼻眼鏡を買って行って欲しいです。

 今回はマジックショー時に女装をしました。わっくん(大和久君)とチチ(菊地さん)の役がおいしくてたまりませんでした。ホスピスの子達の笑顔を見る為ならどんだけでもバカになれます。

 NDWSでは、今回も障害児達の家々をまわりました。皆前回と変わらないか悪くなっているように見えました。障害児の親、特にハシーナのお父さんは問題有だと感じました。
B 彼はペアレンツ・アソシエーションの副会長でなければ逃げていたかもしれません。僕でもそうするかもしれません。彼には今の現実に直面し絶望しているだけで、先にある可能性を考えられずにいるのだと思います。

 ネパールは最近まで内戦状態でした。それにも関わらず今回こんなにも多くの人が参加してくれたのはとても喜ばしいことでした。僕達はまだ学生なんだから知識もなければ実践で使える行動力もない。

 しかし、それを悲観することもなければ恥じることもありません。僕達に何かすごいことができるなら世界機関なんていりません。だから、僕達はできることを精一杯すればいいのです。

C また、今回もドナーの安易な支援について考えさせられた。不必要な支援は人間を駄目にすることがよくわかった。また、援助の残酷さも改めて痛感した。チャパゴンでわっくんは地元の子供達と戯れていた。しかし僕にはできなかった。変な情が出てきてしまうからだ。さらに、チャパゴンでお菓子をあげたあの子供達は僕らが帰った後どうなったのかとよく思う。いじめられていないだろか、仲間としてみてもらえないのだろうか等々。

 今回参加した皆、楽しい思い出をありがとうございました。まり子さん、また大学在学中にもう1回参加させてもらいます。感想文っぽくない感想文ですいませんでした。
6:「ネパール」

藤田さん
(静岡県 大学生 女性)
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初めへ
@ ネパールでの2週間から大分時間が経ったけれど、ネパールでの思い出から離れられなくなっているように感じます。ホスピスの女性や子供達は、出会ったばかりの私達を無条件で受け入れてくれました。

 そんなことは日本ではほぼ起こり得ないことだと思います。彼女たちの笑顔に会いたい。帰ってきてから、ふとした瞬間に何度もそう思いました。そんな笑顔に包まれながらも人見知りな私は打ち解け切れなかったことをひどく後悔しています。

 私はツアー中、ホスピスの女性や、カカルビッタの女性の顔を一生懸命見て、彼女達の心を感じよう、感じたいと思ってはいたけれど彼女達に実際に接して一緒に踊ったり、笑ったりすることがあまりできなかったように思うのです。
A そして、ネパールから帰ってきて月日が経つと、帰国したばかりの頃に比べてネパールでの日々に心がたどり着くまでの時間が長くなったように感じます。ネパールで私が見て、聞いて、感じてきたことは、私の生活とかけ離れすぎていてホスピスの女性たちの目の前にいるときでさえ彼女達の痛みを感じることは出来ませんでした。

 それが、今はこうして日本に戻り普段どおりの生活をしていて、どうやってそんな遠くに住む女性達のことを覚えていたらいいのかとても戸惑ってしまいました。

 頭では彼女達のことを覚えていても、気持ちが徐々に日本での生活にシフトしていき、ネパールで起こっている悲惨な事実を覚えていることが難しくなっています。だから、その為には努力が必要だと思うのです。
B 今私は、私がネパールで見聞きしてきたことを、出来るだけ多くの人に伝えたいと思っています。そして、私自身がもっとネパールについて知ろうと思っています。ツアーに参加する前の自分であれば、なぜネパールなのか、もっと身近なところで苦しむ人がいるのではないだろうかと考えたかもしれません。

 しかし、私がこのスタディツアーを選び、参加して、ネパールの女性と出会ったことは奇跡のような運命で、その運命を大切にしたいと思っています。ネパールに行き、ホスピスやサッチガッタであの女性達と出会ったことで、帰国してから色々なことの感じ方が変化したように思います。
C そんな単純に人の心が変わるのかと思われるかもしれないけれど、ネパールでの日々はそれ程に衝撃であり、すてきな経験でした。そして、また必ず彼女達に会いにネパールに行きたいと思っています。

 最後に、まり子さんとツアーの参加者、通訳のラジャさんに感謝したいと思います。皆には非常にお世話になったし、皆のお陰でとてもいいツアーになりました。ありがとうございました。
7:「スタディツアーに参加して」

高橋さん
(大分県 大学生 女性)
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初めへ
@ ツアー中は、日本に帰れば、ネパールでのことはすぐに忘れてしまうんじゃないかなと思っていましたが、そのときの心配をよそに帰国してしばらくたった今も、ネパールでのことは強烈に心に残っています。

 カカルビッタやカトマンズのホスピスで出会った女性や子供たちと、一緒に過ごした時間は決して長くはないのに、別れの時は予想以上に悲しい気持ちになりました。

 カトマンズのホスピスに行く前、まり子さんからは「普通に接すればいい」と言われていたのですが、“HIVポジティブの人たちに普通に接するってどういうことなんだろう?

 私は普通にできるかなあ”と緊張してホスピスに向かったのですが・・・ホスピスも彼女たちも、特別な雰囲気のない、本当にごく普通の様子でした。言い方は悪いかもしれませんが、ホスピスを訪れる前のホスピスでのイメージは、どことなく暗い雰囲気のなかで、一緒に暗い顔をして同情するというもので、それがその場での適切な態度なのだろうと思っていました。
A しかし実際のホスピスは、暖かい感じのする場所で、女性たちは初めから穏やかな笑顔で私たちを友達として迎え入れてくれました。子供たちもにぎやかに走り回り、遊ぼうと誘ってきました。この彼女たちの態度に、暗い顔が全く必要でないことがわかり、そしてHIVポジティブの人と会うのだ、と余計な緊張で固まっていた私は、拍子抜けしてしまいました。

しかし日を追うなかで、彼女たちの辛さをよく知りもせず、ただ楽しく遊ぶだけの自分の行動が、偽善的に感じられるようになりました。ラリグラスからのプレゼントに彼女たちは大喜びでしたが、私からはお金がでていないので、私がしたことは本当にただ遊ぶだけでした。

 見せかけの暗い顔をして同情したって、彼女たちにプラスになることはないこと、笑わせることが大事なことはわかるのですが、彼女たちがどんなに辛いかを知らないのに、私は楽しくしているだけでいいことをしたような感じでいいのか、という思いがでてきました。
B けれど、まり子さんが“支援は、何かを必要とする人がいて、それに応える人がいるというかたち”だという話をされて、彼女たちの気分がちょっとでも良くなるのなら、私が自分の行動を偽善的と思おうが思わなかろうが、そんなのはどっちでもいいことで、楽しいことを必要とする人がいて、私は一緒に楽しむことができる、ならいいんじゃないか?と思うようになりました。

 とはいえ、もちろん今回のツアーでただ“楽しく遊んで帰ってきました”だけに終わらせることなく、友達になってくれた彼女たちのことをもっと知って、何かにつなげていければと思います。自分でみたネパールの現状を基に、さらに興味の湧いたことをこれからどんどん調べ、そしてまた感じたことを大切にしながら、日々の生活を送りたいと思っています。

 ラリグラスのツアーはたまたまみつけて参加を決めたのですが、今から考えると、たまたまラリグラスに出会い、そしてツアー参加者にも恵まれたことは幸運でした。みなさん、本当にありがとうございました。
C 最後に、これからツアーに参加することを考えている人に、メッセージを送りたいと思います。治安、衛生状態、環境などを不安に思う人もいらっしゃると思います。治安の面では、少なくとも今回のネパールで危険だと思うことは一度もなかったです。

 少々潔癖な私は、衛生状態が何をするにもとても不安でしたが、今から考えると飲み水にさえ気を付けていれば、特別心配する必要はないです。食事や習慣の違いが、最初は多少ストレスになりますが、慣れてくるとそれさえ面白く思えます。

あと、私はツアー中の行動は“こうしなければならない”とか制約がたくさんあるものだと思っていましたが、実際はとても自由な状態でした。

 現場を知らないと、偏った見方をしてしまいがちです。今回ツアーに参加して、本で読むことと、実際に見て感じることの差を改めて感じました。もし興味があって、参加するチャンスがあるなら、肩ひじ張らずに行ってみればいいんじゃないかなあと思います。


2006年春スタディツアー感想文 1 2 3 4
  ♪旅程(2006年春) ▲TOPへ
3/4(土) 午前 成田空港より出発
午後 バンコク着、ホテルへ
3/5(日) 午前 バンコク発
午後 カトマンズ着、ホテルへ
夕刻 子どもたちへのプレゼントのお菓子とビーズ素材の仕入れ
3/6(月) 午前 マイティ・ネパール本部訪問:女性と子どもの保護施設・職業訓練施設小学校などを視察
午後 新ホスピス訪問
夕方 支援物資仕分け、お菓子セット作り
3/7(火) 午前 ビーズ素材仕入れ、お菓子詰め、フリーマーケット商品仕入れ
午後 新ホスピス訪問:ビーズ検品作業など
夕刻 ネパールの人身売買についてレクチャー
3/8(水) 午前 新ホスピス訪問:ビーズ検品作業、新デザイン指導など
午後 NDWSデイケアセンター訪問
3/9(木) 午前 カトマンズ発
午後 カカルビッタ着、トランジットホームと国境見学
3/10(金) 午前 トランジットホーム訪問
午後 旧ホスピス訪問
3/11(土) 午前 リクシャーにて空港に向けて出発
午後 カカルビッタ発、カトマンズ着
3/12(日) 終日 ホスピスのみんなと交流プログラム:動物園と映画館へ
3/13(月) 終日 フリータイム:パシュパティナート、ボダナート観光、フリーマーケット商品の仕入れ
3/14(火) 終日 フィードワーク:NDWS・CBRプログラム対象家庭訪問
3/15(水) 終日 ホスピス訪問:交流プログラム(ランチパーティー)
3/16(木) 午前 マイティ・本部訪問
午後 カトマンズ発、バンコク着
バンコク発
3/17(金) 早朝 成田空港着、解散
1:「感想文

川島さん

(神奈川県 学生)
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初めへ
@ ナマステ! ホスピスの女の子達、子供たち、NDWSの子達、一緒に参加した皆さん、スタッフの皆さん、素敵な日々をナマステ(ありがとう)!

 家路に着いて、部屋の机上にあるカレンダーの3月上旬にスタディツアー2週間分がマークしてあるのをふと見たとき、ネパールで過ごした日々が2週間もあったのかと目を疑いました。あっという間でしたが、それでいて日本に帰ってきた後もネパールで感じたほんわか温かい気持ちや感動を持ち続けられるくらいの大切な時間となりました。

 今回のツアーは、ネパールの山々に興味を持ったことがきっかけで、ひょんなことから参加させていただいた私にとっては、見るもの聞くもの全てが新しく驚きと感動の連続でした。同じ世界に生きていたはずなのに、自分にとっては全く未知の世界に飛び込んだようでした。

 たった24年しか生きてないのに、世の中のことを知った気でいた、自分のことばかり考えていた自分に気づかされた思いです。日本でぬくぬくと恵まれた環境に育った私には、正直、ネパールのホスピスやNDWSの子達の経験したことやその暮らしを想像するのは難しいことです。

A 実際に彼らの元を訪れるまで全く想像がつかなかったし、彼らと触れ合った今でも彼らのことをどれだけ理解できたのかも自信がないです。

 しかし、新ホスピスでは、天真爛漫な子供たちに囲まれ思いがけずに体を酷使し遊んだり(同じくツアー参加者の西村くんには到底およびませんが!笑)、動物園などで女の子達とバトミントンなどして体を動かしたり、とってものんびりとした素敵な田園風景のなかに佇む旧ホスピスでは女の子達がダンスをしてはしゃぐ様子を見て楽しませてもらったり、自分自身がかなり楽しませてもらい、数々の笑顔に触れたことはとっても素敵な思い出です。

 また、NDWSのフィールドワークで、障害者の兄弟を幼い兄弟達が真摯に介護する姿を見せられたときには、不意に胸をつかれた思いでした。差別や偏見にさらされることもあるだろうに、障害者の兄弟を愛し、愛されているその赤裸な様にどうしていいかわからなかったです。

B 今思うことは、そんな頑張っている子達を応援し続けられたら、ということです。自分はあまのじゃくでなかなか良い子でいることはできなくても、彼らを応援することでちょっとは良い子の真似事をできるのではないかと、笑。

 今回のスタディツアーでは、ネパールの政情についても少し肌で感じました。ネパールの政情は不安定で、現国王勢力と反国王勢力の狭間で国民の生活が立ち行かなくなっているということ。カカルビッタでは、反国王勢力のデモで車が使えず、1時間半くらいかけてリクシャーで空港に行きました。


 私は、初めてのリクシャー経験でキャーキャーはしゃいでいたけれど、貧しく一生懸命働いて生計を立てていかなくてはいけない人たちにとっては、そんなデモがさらに貧困に拍車をかけるものになっているのですね。最も観光客で賑わうはずのカトマンドゥ、タメル界隈でも観光客はまばら、どのレストランもがらがらで、タクシーの運転手さんも愚痴をこぼしていました。
C ネパールから帰ってきて、その時の興奮もちょっと冷めてはきましたが、家族の食卓で魚料理が出ると、今でもふとホスピスの子達が魚のフライをおいしそうに頬張っていた様子を思い出します。

 ネパールは山岳地であり海がないから魚は希少価値があって、鯉に似た川魚を食べるんだよ・・・と家族に話すと、群馬の出身の父も、幼い頃は海の魚ではなく鯉やフナなど川魚をよく食べた、そんな話も出てきました。

 繊細そうで穏やかで優しそうな顔を見せる反面、茶目っ気たっぷりだったり、素直なんだかしたたかなのかよく分からない、そんな女の子達、子供たちの飽きさせることのない表情にまた会いに行くため、私もこれから新社会人として頑張っていこうと思います。では、皆さん、また会いましょう!
2:「VIVA NEPAL」

西村さん

(福岡県 学生)
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初めへ
@ 私のネパールのイメージ:途上国、水問題、インドと中国の隣、なんか怖いとこ、謎、カトマンズ、カマイヤ、人身売買に政府が積極的関与している国。

 実際のネパール:途上国、停電、不便、安全、ケツアゴ、NO WATER etc. 私を含め多くの人は情報に流されすぎだと思います。実際に自分で、見て、聞いて、触れて、話してみないと本当の姿はみえてきません。
私の場合、アメリカの人身売買報告書
の情報をもとに挑みましたがあえなく撃沈しました。

 今思うとこちらhttp://www.changemakers.net/の方はまだ現場で聞いたのと合っていると思います。また、実際、危険なことはほぼなく、ただ不便が多少あるくらいでした。

 では、これから今回の参加者の紹介を独断と偏見に基づき行います。まずは代表まりこさん、この方はインドLOVE、そして援助の継続性を訴え、しゃべり倒してお金を巻き上げる(?)人です。
A 次に理事のあきこさん、この方との相乗効果でまりこさんのパワーが格段とあがるのかも。基本ノーリアクション、どんなにおもしろくても口を手に当てて「ホホホ」という感じ。食べる⇔下すを繰り返すも表面上は普通に振舞い、皆を引率する姿には敬服いたします。

 次は松葉さん、この方は、理事?と思わせるほど深い所まではまってます。薬に関して右に出るものなしで、体調悪くなったらこの移動型開業医に!という感じ。適切、なおかつ只で薬を提供してくれます。仲のいいお隣さん的存在。

 次に由佳さん、この方は、トレッキングLOVE、フランス語ペラペラな感じで人の話にうまく耳を傾けるのが得意。長女的存在。次にありちゃん、この方は、悟りを開いているが、ネパール人になめられっぱなしな人、ことあるごとに奇声をあげ、よく周りをビックリさせる。次女的存在。

 最後に私、西村くんはなかなかとっつきにくい人だった気が、また常に寝ていて歩きながらも寝てんじゃないの?と思われてそうな感じ。気分によって話に乗ったり乗らなかったり・・・な係長どまり的存在。
B 以下からは感想を述べていきます。

ホスピス:マイティ・ネパールのホスピスは2つあります。1つ目はカトマンズにあるHIV患者専用のホスピス、もう1つはカカルビッタにある精神病患者専用のホスピス。どちらのホスピスも女性達、子供達は暖かく私達を迎えてくれました。

それもこれもラリグラスとの長い関係の中で培われた信頼の証です。笑顔・笑顔・笑顔の連続で、逆に元気をもらうほどでした。私達は皆自分でできることをしてその場を盛り上げました。その中には奇怪な行動の数々が含まれてました・・・(笑) 

国際協力に興味のある人で、自分には何もできることがないとか、何ができる?と悩んでいる人は多いと思います。しかし、実際できることはたくさんあるのです。スタディツアーに参加する、ホワイトバンドをつける、レジ袋をもらわない、フェアトレード商品を買う等いくらでも。

私達一個人にはどうしようもない問題も確かにあります。しかし、そのことでうじうじ悩んでいても何も始まりません。私達は私達にできることをすればいいのです。私の場合は、ホスピスの子達をおもしろおかしく笑わせたり、一緒に遊ぶことで国際協力・人間開発につながっていると思ってます。
C NDWS:私達はNDWSという現地NGOの、障害児を支援している部署に行きました。ここもラリグラスが支援しているとこなのですが、やはり皆訪れると笑顔を見せてくれます。覚えていてくれるのです、継続してきてくれることを。確かにかわいそうという気持ちもありますが、それだけで済ませてはいけません。その先のこと(原因とか自分にできること等)もいろいろ考えなくてはいけないと思います。

日本の人たちを支援しないでなんで外国を支援してるの?と思っている人もたくさんいると思います。しかし、外への旅は内を知る旅とも言えます。外を見て、内を見直すことが自分自身の成長へとつながっていくのです。「知る」というのはとても大切なことではないですか?

理由はどうあれまずは外の世界に飛び出すことをお勧めします。それがきっかけで問題点もいろいろ見えてくるはずです。特に私が参加したこのスタディツアーは初心者には参加しやすい環境だと思います。というのもオン・オフがはっきりしていてものすごく楽しめ、アットホームな感じでした。また、ネパールに危険はありませんでした。ただ不便なだけということ。

私はそんなスタディツアーに今年の夏も参加します、皆の笑顔を見るために…ということで理事の皆さん、夏もよろしくお願いします。読んでくれた皆さん、夏に会いましょう。
3:「感想文」

松葉さん
(北海道 社会人)
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初めへ
@ 2年ぶりのネパール。ようやくホスピスの女性たち、子どもたち、NDWSの子どもたちに会いに行ける。今年の1月にホスピスが、カカルビッタからカトマンズに移転し、前回の夏のツアーでカカルビッタ訪問は最後とのことだったので、とても心残りだったが、出発直前になり、カカルビッタのホスピスにもまだ何人かの女性たちが残っているとのこと、急遽、カカルビッタ行きが決まったことは私にとっては嬉しいことであった。

 しかし、そこに残っているのは、精神疾患の女性たちばかりだという。一体、どのような運営がされているのか、のどかなカカルビッタからカトマンズへ移った新ホスピスの女性たちは、環境の変化などに問題はないのだろうか、ツアーの度ごとに詳細な報告を受けているも、心配が過剰になっての出発だった。

 カカルビッタのホスピスは、やはり想像はしていたものの人数が減り、閑散とし、悲壮感ただよう中、重篤な精神状態の女性も目にし、愕然としてしまう。ナース、女性たち共倒れにならぬよう、スタッフの増員など改善を強く願うばかりだ。

 そんな中、私たちの訪問を喜び、笑顔を見せ、得意の踊りを披露してくれる数人の女の子に救われるが、訪問最終日、突然のストライキとなり、ホスピスへの交通手段がなくなり、前日に交わした「また明日ね!」の約束を果たせなかったことは、またしても気がかりを持って、カカルビッタを後にしてしまった。
A カトマンズの新ホスピスは、心配をよそに移転した女性たちも新たに加わった女性たちもチビッコたちも随分と元気に笑顔で迎えてくれた。病状や精神状態のよくない女性は数人いたようだが、新しい施設を案内してくれたり、はしゃいでゲラゲラと楽しそうな笑い声もしばしば聞こえ、そして恒例の調理でもしっかりと彼女たちが主導権を握る姿に安心し、そして、何より、食事の時に肉も魚も頬張って美味しそうに食べている姿を見て、ホッとした。

 ナースのドゥルガは、以前よりもパワーアップで、真っ直ぐな姿勢で自分の仕事をこなしており、新ナース2名も明るく聡明な感を受け、病と闘う彼女たちの力となってくれるよう願いを託した。今回は、私はネパールへ遅れて入ったため、新ホスピスで過ごした時間は1日だった。今後の職業訓練(ビーズ指導など)の講師などの件は、若干の心配が残るが、女性たちや子どもたちの状態については、随分と安心してホスピスを後にした。

 NDWSは、前回、前々回にもお会いしている優秀なスタッフが辞めてしまったこと、ハシーナの母親が亡くなったことなど、悲しい報告を受けていたので、こちらもまた重たい気がかりがあった。しかし、新スタッフの意欲ある積極的な姿勢に安心し、今後の活動にも活躍してくれる人物のように感じ、強力なスタッフとして長く続けて欲しい。

 ハシーナの母親の件に関しては、あらためてハシーナ、父親、弟と対面し、やはり胸がつまって言葉にならなかったが、NDWSからの報告よりは、ハシーナの状態が想像以上に悪くなかったことは、せめてもの救いだった。
B フィールドワークでは、チャパゴンという障害児が多い極貧地区に足を踏み入れ、劣悪な環境に愕然とするが、今後の活動(デイケアセンターの開設など)により、少しでもより良い方向へと心から願うばかりだ。

 私事ではあるが、昨年、体調を崩して入院体験をした。治ると頭で理解できる軽症の病気さえも不安から解放されず、精神的に不安定となり、心底、落ち込んだ。ネパールでは、HIVはまだまだ不治の病、希望の先駆けプロジェクトで、薬の提供が始まったとはいえ、全員の薬があるわけでもなく、支援が一生続く保証もない。

 過酷な過去と病や死という不安を終わることなく抱える彼女たちの精神状態は、とても計り知れない。精神的なケアをもう少し充実させ、彼女たちの不安や恐怖を少しでも取り除いてあげることができれば…

 最後に支援とは?

 かかわればかかわるほど難しさを実感する。途上国の支援は、1つクリアしても、また次から次へと新しい問題が山積だ。その問題により、クリアしてきたはずのものがオジャンになることも少なくない。しかし、それは、ネパールという、この国の情勢を、文化をこの目で見ることだけでも、案外容易に納得できてしまう。
C 今回のツアー中の出来事を例にとると、水不足になると1日5時間の停電が当たりまえ、突然のストライキにより交通手段が全くなくなってしまう、という事実を知ることだけでも(出来れば体験することも)、支援を長く続けていくには、大切なことかもしれない。

代表の長谷川さんがよく言うように、支援するために彼女たちがいるのではない。だから、もどかしい状況が続く中でも、支援者本意になってはいけないのであろう。支援を続けた結果、最終的には自分のためになっていることはあっても、やはり、自分のために支援を始めるという認識の勘違いをしてはいけないのであろう。

 私の場合も、初めに随分と大きな目標をかかげていたが、現場へ足を運ぶこと、現場を良く知る長谷川さんの話を聞くことにより、自分の傲慢さを反省した。ラリグラスにかかわり5年を経過したが、今後もどんな形であれ、時に停滞することがあっても、関わり続けることを新たに心に決め、それは10年後か15年後かはわからないが、やはり「継続は力なり」だった、と確実に実感できるような支援を自分の出来る範囲で今後も続けていきたい。
4:「感想文」

吉富さん
(東京 学生)
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初めへ
@ ネパールに来るのは2回目です。2年前よりも国内状況は不安定になっているのでは、と懸念がありましたが、さしたる事件も起こらずに良い旅になりました。出発前に周りから心配されていた食事も、美味しい食べ物のおかげで、むしろ健康的に1キロ以上増えて帰国しました。

 英語はほとんど話せない私ですが、街中を歩いてちょっとした買い物やインターネットはできました。また、ホーリー(水かけ祭り)の標的にされたりしましたし、運賃ぼったくりタクシー(数は多くないらしい)に乗ったこともひっくるめて、良い経験をさせていただきました。

 ホスピスで女の子たちと踊ったことも楽しかった(次の日太ももの内側が筋肉痛になったけど)。それから、あるきっかけで「アリ」というニックネームまでもらってしまいました。ネパール語で「やや」という意味だそうです。

 ところで、ツアー中にネパールについて「納得できない」と感じたこともいくつかありました。例えば、格差。朝から値段のかかる外食を楽しむ少女たちがいる一方で、遠方から歩いて来て行き倒れてしまった女性もいました。

A「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生マレタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」  
 これは、約90年前の日本で、精神医学者・呉秀三が告発した時の言葉です。昔は精神を患った者は、座敷牢に監禁されるなど、劣悪な環境下にある場合が多かったのです。その現状を呉秀三は「病にかかる不幸だけではなく、療養も保護もしない日本に生まれたことも不幸である」と述べました。

 現在の日本の精神保健福祉も課題点は山積みかもしれないですが、その当時と比べれば変わってきていると言えるのではないでしょうか。
 ネパールで障害を持った人々と会った時に、私は先の呉秀三の言葉がずっと頭の中で繰り返されていました。ケアどころか、「精神病」の認知すらきちんと広まっていない現状に「いったいこの国はいつまで90年前の日本の姿を留めるんだろう」と思いました。だからといって、ちょっと訪れるだけの「外国人」である私に何ができるのかわからない。
 
B ホスピスに行ってもその「どうしたらいいんだろう」という思いがいくらでもわき起こりました。例えば、ふと見ると、ついさっきまで元気だった女性が、明らかに憂鬱な顔になっていたり、外界とのコミュニケーションがとれなくなった少女に、話しかける言葉も態度も見つけられなかったり。

 ツアーに参加する前から「彼女たちを助ける」なんて奢りは持たないつもりでしたが、いざ自分が何もできないことを痛感すると「どうすればいいのかわからない」と落ち込むばかりでした。でも、そうやって自分勝手にへこんでいると、ホスピスの子どもたちが「かまって!」「遊んで!」と近くに来てくれたり、女の子が話しかけてくれたりしました。なんだか気を使わせているようで申し訳ない気持ちが半分、嬉しい気持ち半分でした。  
C きっと彼女たちは、私たちと一緒に動物園に行ったこととか、手品を見たこととかを「非日常的な、楽しかった思い出」にしてくれているのだろうと思います。ならば、そんな彼女たちの姿をいつまでも忘れないこと、リアルに思い浮かべることが、私に「できる」ことなんじゃないかなぁ、と少し思いました。

 いろいろことがあって、いろいろな思いがあって、上手くまとめられなくて申し訳ないです。

 最後になりましたが、参加者の皆さん、ラジェンドラさん、そしてネパールでお世話になった全ての人たちに感謝します。ステキな人にたくさん出会えたことも含めて、良い旅になりました。帰国後もなお不安定な情勢にあるネパールが、どうか一歩でも平和に近づけますよう。

2005年夏スタディツアー感想文 1 2 3 4 5 6 7 8
  ♪旅程(2005年夏) ▲TOPへ
8/21(日) 午前 成田空港より出発
午後 バンコク着、ホテルへ
視覚障害を持つ人の自立支援のためのマッサージセンター訪問
8/22(月) 午前 バンコク発
午後 カトマンズ着、ホテルへ
夕方 子どもたちへのプレゼントのお菓子とビーズ素材の仕入れお菓子セット作り&寄付物仕分け
8/23(火) 午前 マイティ・ネパール本部訪問
午後 カトマンズ発、カカルビッタ着、トランジット・ホーム訪問
夕方 支援物資仕分け、お菓子セット作り
8/24(水) 午後 カカルビッタに国内線にて移動
夕方 ネパールの人身売買についてレクチャー
8/25(木) 午前 トランジット・ホーム、旧ホスピス訪問
午後 マイティ・ホスピス訪問 : ビーズ検品作業など
8/26(金) 終日 マイティ・ホスピス訪問 : ビーズ製作指導・検品作業など
8/27(土) 終日 マイティ・ホスピスの女性たちと映画鑑賞、外食、ショッピング
8/28(日) マイティ・トランジット・ホーム訪問
終日 マイティ・ホスピス訪問 : 調理、ダンス、出し物披露など交流プログラム
8/29(月) 午前 マイティ・ホスピス訪問
午後 カカルビッタ発(国内線移動)
夕方 カトマンドゥ着
8/30(火) 午前

マイティ・本部訪問後、短期コース参加者帰国の途へ

午後 フリータイム : 希望者パシュパティナート、ボダナート観光、フリーマーケット商品の仕入れ
8/31(水) 午前 NDWSデイケアセンター訪問
午後 マイティ ・ 新ホスピス建設現場視察
9/1(木) 終日 NDWS訪問 : CBRプログラム対象家庭訪問
9/2(金) 午前 マイティ・本部訪問
午後 カトマンズ発、バンコク着
バンコク発
9/2(土) 早朝 成田空港着、解散
1:「再会」

上原さん
(東京都 学生)
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初めへ
@ 去年の夏、初めてラリグラスのツアーに参加した私は、ある目的を胸にネパールへ旅立ちました。私が2回目の参加を決意したその大きな理由を書きたいと思います。

 去年参加したとき、ホスピスでチャンヌーという女の子と出会いました。彼女は、講演会でスピーチをするために昨年11月に来日しました。そのとき、私は彼女と3月のツアーに参加し、ホスピスに行くことを約束したのです。

 しかし、諸事情のため、私は3月のツアーに参加できませんでした。このときは、ビデオレター(男装)を託したのですが、やはり約束を果たしたいと思い、今回参加しました。

 彼女に会って一番に思ったことは、「また会えてよかった」でした。体調があまりよくないという話でしたが、彼女の笑顔を見ることができ、うれしかったです。

 私との約束が彼女の心に残っていたかどうかはわかりませんが、残っていると勝手に思い込んで、会いにいきました。しかし、私たちはもう一つ約束をしていたのです。

 むふふ、それは一緒にヒゲ書いて男装して踊ること。一緒にホスピスへ行って踊りたかったけれど、彼女は現在仕事のためホスピスではなくマイティ本部にいる身。男装ダンスの約束は次回持ち越しとなりました。
A さて、私はチャンヌーのみならず、他のホスピスやNDWSのみんなと対面したときも、「また会えてよかった」と感じました。もちろん、ホスピスには新しい女の子も増えていましたし、NDWSにも、新しい子どもがいました。

 しかしそんなことはおかまいなしに、「また会えてよかった」と思ってしまいました。ホスピスのちびっこたちの成長ぶり、女の子たちの変化、NDWSの子どもたちの成長ぶり。

 現地に行くことでしかわかり得ない変化を感じ取ることができました。それと同時に一回目では見えてこなかった一人一人の性格やそれぞれの組織が抱える問題点なども見えてきました。

 特に、NDWSのフィールドワーカーさんたちと回った障害を抱える子どもたちの状況は、深刻だと感じました。支援を続けるために、継続的に現地を訪問することの意味を少し理解したような気がしました。

 今回、私にはツアーで果たすべき仕事がありました。それは・・・男装。ではなく、ビーズの買い付けと指導、そして検品でした。去年参加したときも、指導と検品の手伝いをしましたが、リーダーとしての仕事は予想以上に大変でした。買い付けは、欲しい色がなかったり、指導は、ビーズの組み合わせを伝えるのが大変だったり。

B しかし、他の参加者のみなさんが一緒になって手伝ってくれたおかげで、無事にビーズ作業を終えることができました。感謝です。何より、今回ビーズリーダーをやって、女の子たちがどれだけビーズをがんばっているか、どれだけ思い入れがあるかということがよく分かりました。

 日本でビーズを売っている写真を見せたとき、ビーズ指導の先生であるゴマをはじめ、女の子たちの喜びの笑顔がとても印象的でした。彼女たちの収入、自信のためにも、日本でビーズ売りや新作開発に励まなければと奮起させられました。


C ちょっとまじめなこともやってきましたが、やっぱり私にとって一番のメインイベントは男装なわけで。3月のツアーからはじまった「よさこいソーラン」の踊りとネパール人もびっくりの手品も含め、二丁目のママたちやバーコード頭、変なおじさんなどなど、多彩な変装っぷりでホスピスのみんな大笑い!大満足!と、自負しております。次回は、さらにレベルアップした余興を期待しております。

 そんなこんなで、帰国したわけですが、秋はラリグラスにとって稼ぎ時であります。日本でもイベントの時は男装しようかな〜と、よからぬ妄想をしながら、ラリグラスカレーを売るのでした。

 最後に、ツアー引率のまり子さんとやかちゃん、ラジャさん、参加者のみなさん、楽しい思い出をありがとうございました。
2:「スタディツアーに参加して」

久保さん

(東京都 学生)
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初めへ
@ 今回1年越しの念願かなって、ラリグラスのスタディーツアーに参加することができました。私がラリグラスに出会ったのは、2004年5月5日に文京シビックセンターで行われた講演会でした。

 それまでネパールに興味を持っていた私は、たまたま見ていたインターネットでこの講演会を知りました。講演を聴くまでは、ネパールといえばヒマラヤがあって、きれいな景色で・・・という漠然としたものしか思い浮かびませんでした。

 しかし講演では、ネパールの現実をとても思い知らされました。その内容は、私にとって大変衝撃的でした。私とほとんど歳の変わらない女の子たちが、人身売買の被害者になっている事実を知りました。

 その講演を聴いて、自分の今いる現実がとても幸せだと感じたと同時に、自分の目でその現実を見てみたいと思うようになりました。

 マイティの本部は、私が想像していたものより、とても立派な建物でした。しかもとても大きくてびっくりしました。しかしとても閉鎖的な建物だと感じました。
A  いろいろな事情で仕方のないことだと思いますが、なんだかとても寂しい気持ちになりました。子供たちはとてもお行儀が良く、かわいかったです。一人一人がさまざまな事情を持っているのだろうなぁと考えると、笑顔の裏にはどんな感情があるのだろうと考えてしまいました。

 ここには赤ちゃんもたくさんいました。【1人1子育て】という裏テーマ(?)のもと、みんなで赤ちゃんを抱いていました。ここの赤ちゃんたちはあまり抱いてもらうことがないため、抱くとすごくうれしそうにしていました。帰る時はなかなか赤ちゃんが離れず、別れるのがとてもつらかったです。

 ホスピスは、行くまではもっと病院みたいなものを想像していました。しかし実際行ってみると、私たちと何もかわらない女の子たちが普通に生活をしていました。そのことに私はとてもショックを受けました。

 私たちよりちょっと体調に気をつけたり薬を飲んだりしているだけで、あとは全く変わらない女の子たちだったのです。私たちがホスピスを訪問することは、女の子たちにとってとても大きなイベントでした。
B そんな楽しい時に悲しい顔は見せてはいけないといつも言い聞かせていましたが、毎日ホスピスから帰るとき泣きそうになっている自分がいました。

トランジットホームには、フリースクールがあり多くの子供が勉強していました。ここの子供たちは日本人に慣れていないせいか顔がとても強ばっていました。中には泣き出してしまう子供もいました。

 今まで出会った人たちはとても人なつっこい人ばかりだったので、不思議な感じがしました。しかしお菓子を食べたり絵本を見たりしている時は、とても楽しそうな顔をしていてうれしくなりました。

 NDWSは私がもっとも行きたかったものの一つでした。通ってきている子供たちはとても人なつっこく、かわいかったです。体調を崩していた私ですが、あの笑顔に癒されました。
C 私たちはほとんどを車で回りましたが、それでもとても遠く感じました。様々な場所に住んでいる障害児を一人一人ケアしていくことは、とても難しいことだと感じました。

 今回私は、1週間前にネパールに来ていたため、ツアーメンバーとの合流はホテルでした。最初はなじめるか本当に不安でしたが、今はこのメンバーでツアーを行うことができて、とても良かったと思っています。

 またぜひみんなに会いに行きたいと思っています。
3:「スタディツアー感想文」

佐藤さん

(島根県 社会人)
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初めへ
@ 学生時代、先生や先輩の影響でネパールという国と、国際協力というものに興味やあこがれをもちました。いつかはそういった舞台で活動をしたいという気持ちをもっていましたが、結局、在学中に、スタディツアー等に参加して現地の状況をみたりすることはできませんでした。

 しかし、途上国に貢献できる仕事をしたいなぁという漠然とした気持ちはあったので、ODA等の仕事で途上国に行く機会がある建設会社を就職先に選びました。実際に入社してからは、東京から離れてしまったこともあり、また、日々の仕事等に追い回され、いつのまにか6年間が過ぎてしまいました。

 ようやく、会社の仕事にも慣れ、同じ部署の方々にも理解をいただくことができ、念願かなって長期の休みをいただいて、ラリグラスのスタディツアーに参加させていただくことができました。

 といっても、今まで何かラリグラスの活動に参加させていただいていたわけではなく、「ネパール」「スタディツアー」というキーワードで、インターネット検索してでてきた、何件かのNPOのホームページの情報をみて、自分に一番あいそうだなと思って応募しただけなのですが・・・

A ツアーに参加しての僕の一番の感想は、やっぱり、本当に楽しかったなぁということだと思います。特にホスピス訪問をして、女の子たちや、子供たちと遊ぶのは本当に楽しかったです。

 まり子さんや、参加経験のある聡子ちゃん、翔子ちゃんからホスピスのみんなが本当に僕らがくるのを楽しみにしてくれているという話は聞いていたのですが、まるで、昔からしっている友達や遠くからきた親戚のように、あたたかく迎えてくれたのには本当にビックリしました。

 コミュニケーションは急造のネパール語「ラムロチャ!(上手!)」「ドエレェ ミトチャ!(とっても おいしい!)」「パニ(水)」に「ナマステ!」「タパイコ ナム ケ ホ(あなたの名前は?)」「メロ ナム ハッティ ホ(私の名前はハッティです)」(通訳をしていただいたラジャさんからネパール人は象「ハッティ」が好き、と教えてもらって、僕は自己紹介のときから最後まで名前を象「ハッティ」でとおしました。

 これが結構、笑いとれました。)等を教えてもらいわずかな単語を連発!あとはお互いにおもいっきり、ネパール語と日本語で会話していました。それでも、なんとなくは通じていたように感じたから、不思議です。
B ビーズ指導(僕は全く役立っていませんでしたが・・・)、女の子たちに食べてもらうために ラジェットホテルの自称29歳、推定40代のコックさんガネーシャさんを先生に迎えての、タライ何杯分かわからんくらいの大量のモモ(ネパール版餃子)づくり、学生時代以来、久しぶりに大人数の前でやった手品(成功するかかなり不安で毎夜ホテルの部屋で一人練習してました・・・)、女の子たちに喜んでもらおうと毎日みんなでかなり気合をいれて練習した「よさこい」、大うけだったインド風ショートムービー(配役 主演:アクションスター ターミー高橋、ヒロイン:ラジャさん、悪役:翔子ちゃん&佐藤)、子供たちが泣き叫んでいた高橋さんのかなりきわどい?女装、ユミちゃん 翔子ちゃんの妙にはまった男装、全て本当に楽しかったです。

 いけないことなのかもしれませんが、僕は、彼女たちがたどってきた過去や、病気のことを、一緒にいるその時は、ほとんど忘れてしまっていました。彼女たちや子供たちが抱えていることを、今、僕なりに想像してみるのですが、勉強不足も手伝い、正直、なかなか想像しきれない自分がいます。
C 彼女たちの友達としてこの自分自身への問いかけはこれからずっと自分の中に持ち続けていきたいと思います。また、帰ってきてからわずか1月くらいしかたっていないのに、日々の生活に流され、自分の中で若干、出会ったときの気持ちが薄れてきてしまっているような気がします。

 忘れないというのは、想像以上に結構大変だと思うし、忘れないための努力を(特に行動を)自分なりに続けていきたいと思います。

 ホスピスの一人の女の子が「みなさんに数え切れないほどの愛をいただいたのに、私がみなさんにできることは、みなさんのことを祈ることしかありません」と話してくれました。また、ホスピス訪問の最後の日に一人の子供が僕に、ノートに自分で象の絵を書いてプレゼントしてくれました。
D 当たり前のことなのかもしれませんが、たぶんぼくが書くのもおこがましいくらい、辛く悲しい生活をきっとしてきたであろうあの子たちの心にも、僕らと同じように、(本当は僕なんかより何十倍もの)他者を思いやる深い気持ちがある。そしてそれに人として応えていきたいし、(僕には全くの力不足ですが)彼女たちが本当に必要とすることをしていきたいと思いました。

今までの自分は、自分ができること、したいこと、それがまず先にあったように思います。まり子さんをはじめ、ラリグラスのみなさんは、まるで家族や、友達のように一人一人の心をくみとろうと努力していて、家族や身近な友達を大切にするように、一人一人を心配し、大切にされているように感じました。

その気持ちがあの子たちの、大きな支えになっているんだろうなって思いました。僕も家族や身近な友人をもっと大切にし、それと同じように、今回友達になってくれた、ネパールのみんなのことをずっと大切にしていきたいなと思います。

E 最後になりましたが、今回のツアーを様々な角度から支えてくださった、まり子さん、中嶋さん、石川さん、伊波さん始めスタッフのみなさん方、空港で会うのが全くの初めて、という僕をあたたかく、仲間に加えてくれたツアー参加者のみなさん(特に高橋さんには僕以外の唯一の男性参加者、また、ラリグラスを長年支えてきた方ということもあり、本当にいろいろなことを教えていただきました)、人間としてもとっても魅力的だったラジャさん、長期の休暇をくださった会社の同僚のみなさん、その他にもこのツアーを支えてくださったみなさん、本当に感謝いたしております。本当にありがとうございました。
4:「“Feri Bhetaula!”」

高橋さん
(神奈川県 社会人)
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初めへ
@ 5日間に及ぶ滞在期間を経て、カカルビッタのホスピスを後にする我々を見送る際、彼女らは出来る限り涙は見せず、最後まで笑顔で我々を送り出そうと努力しているようだった。

 帰り際、皆との別れを惜しみ、私の胸を借りて泣いていたギータが、ふと思い立ったかのようにさっと顔を上げ、涙を拭いた仕草。“ Feri Bhetaula! ” (また会いましょう!)と何度も繰り返し、切なそうに微笑みながら我々を送り出してくれた、タラ、スジャータ、カマラ達の表情。そしてクマーリ。

 昨年、カビータの死に直面し、日々彼女の繊細な心を襲うのであろう、言い知れぬ死への恐怖と将来に対する不安と絶望。彼女は「誰も好きになれない。友達などいない」とナースのドゥルガに洩らしていた。現在のホスピスにおいて、その精神状態が最も危ぶまれる女性の一人である。

 まるで抜け殻のように虚ろで無気力な表情。彼女が闘っている全ての闇の深さと果てしなさ、それらを知らしめるには十分過ぎるほどであった。私自身、否応なしに己の無力さを再認識させられ、言い知れぬ虚しさと歯痒さを感じずにはいられなかった。

A ホスピス訪問の最終日。そんなクマーリを少しでも元気付けられればと、ツアーに参加した仲間達の協力を得て、調子の良い時に彼女が綴るというポエム(切なくて美しい詩の数々!)のノートに「日本の友達リスト&メッセージ」を書かせてもらった。いわゆる寄せ書きである。「クマーリ、君は日本に沢山の友達を持っているんだよ、忘れないで!」
 スローな英語で3回繰り返すと、クマーリは満面の笑みを浮かべ、少し子供っぽくハシャいでみせた。そして彼女は、私へのお礼にと、インド人映画スターのブロマイドを壁から剥がし、ノートの切れ端に挟み込むと、そっと私にプレゼントしてくれた。
 「あなたに凄く似てる!」(全然似てない…)と、ハニカミながら微笑んだ彼女は、まるで日本にいる普通の女の子のようであった。
 ほぼ毎日、酷い鬱の症状が出ており、決して芳しくはない体調であったにも拘わらず、帰り際、クマーリは潤んだ瞳で精一杯の笑顔を作り、まるで私を励ますかのようにこう言った。「私は今、週に2回もドゥルガに英語を教えてもらっているの。私が英語を話せるようになれば、日本の皆と沢山お話ができるでしょ?」憶えたての棒読み英語をゆっくりと話し終えた彼女は、とても優しく私をハグしてくれた。
B 国際協力だの、ボランティアだの、そんな肩書きや能書き、自分自身に対する理由付けなんて、別にどうでもいいと思った。

 単純に一人の人間として、少しづつ元気になっていく彼女らをずっと見守っていきたい。純粋で無邪気で、人をいたわる心を持った優しい彼女らと、ずっと友達でいたい。自然に、とても自然に、そんな気持ちにさせられた。

 きっと誰であろうと、自分にとって大切な人のためなら、例えば、自分の家族・恋人・親友のためなら、小難しい理由付けなど何も考えずに「助けたい」「守りたい」と願うはず、決意できるはず。

 ラリグラスの活動の良さ・魅力というのは、美辞麗句を並べた理念や哲学からスタートするのではなく、誰の心にでも自然と湧き上がってくるストレートな感情、その暖かい想いを“源泉”としているところだ。

「自分の家族や友達の力になりたい」
「特別な理由など何も無い。あなたは大切な人だから、これからもずっと大切にしていきたい」

・・・そういった、余りにも単純で、余りにも分かり易過ぎる「動機付け」と「人との出逢い」の中にこそ、この団体の隠れた魅力があるのだと、私は確信した。
C 現在のネパールが抱える、途方もなく甚大な難問・課題の数々。自らの無力さを感じつつも、一歩一歩前へ進んでいくしかない。やれることから一つ一つ解決していくしかない、立ち向かっていくしかない。

 女性達の人権、そして子供達の未来を守るため、これからのネパールには「マクロな視点」による、多角的な是正活動と地道な支援活動の継続が必要だ。政府/警察/地域社会/現地NGOへの働き掛け、社会的弱者のためのより大きな受け皿と支援体制の整備、中長期的な展望に立脚した様々な啓発活動/識字教育の粘り強い推進などが、それに当たる。

 その一方で着実に進められる「ミクロな視点」によるFace to Faceの人的交流。我々の行動と投げ掛ける言葉の一つ一つが、彼女らの心のケアと笑顔に即座に繋がっていく、誰もが喜びをシェアし合える現地での心の触れ合い。このスタディツアーもその一つだ。

 加えて、これらの活動の中心に位置付けられるHIV/AIDS投薬プロジェクト「イニシエイティブ・ホープ」(希望の先駆け)では、今まさに、大変素晴らしい成果が現れ始めているところだ。自分の将来の夢を笑顔で語ってくれる女性が、今日も少しづつ、しかし確実に増え始めている。

D 先に述べた何れの活動も極めて重要であり、その全てが決しておざなりにはできないものである。これらの活動は、我々が永続的に果たしていくべき、大いなる責務を伴った価値ある支援活動、明日へと繋がる「希望の先駆け」に他ならない。そこには、ラリグラスの皆の想いが目一杯詰まった、真(心)の国際協力が確かに存在する。

 彼女らと出逢えたことに対する感謝の気持ち、そして尊敬の念。その一方で、我々に重く圧し掛かる責任と義務。もはや我々は、黙って見過ごすことも、見て見ぬ振りをして足早に通り過ぎてしまうことも、決して許されない。

 過去にスタディツアーへ参加し、末永くラリグラスの活動に携わっていこうと決意して下さった数多くの会員の皆さんが、そして理事会のメンバーの皆さんが、きっと現地で感じたであろう、そのフィーリング。皆よりも随分と遅れを取ってしまったが、やっと今私も、まさにそれを、そのフィーリングを、皆と同じようにシェアできたのであろう。

 知ってしまった者、出逢ってしまった者だけが知り得る、その喜びと切なさ、その笑顔と涙。
E 別れの日。その日も本当に暑かった。
 皆との挨拶を終え、ホスピスの外で送迎車に乗り込むツアー参加者達。暑がりターミーには必需品である“my扇子”を探していたため、私は一番最後にホスピスを後にした。

 緑の芝生が覗く門扉の手前で、私の視線はある光景に釘付けとなった。それは、5歳にしては華奢過ぎる両腕に力を込め、門扉にしがみ付きながら大声で泣き叫ぶアーシャの姿であった。彼女は、送迎車から約50m離れたホスピスの門扉の隙間から「まり子アンティ! まり子アンティ!」と何度も何十回も咽びながら、必死で叫び続けている。

 送迎車の近くで、門番らホスピスのスタッフとの別れを惜しむまり子さんは、たった5cm足らずの門扉の隙間から叫んでいるアーシャの姿には全く気付いていない。

 私の里子の一人、母親のアプサラは、奥の部屋で泣いているらしく、アーシャの傍にはいない。ならば私がと、アーシャを抱き上げ皆の所へ連れて行こうとすると、彼女はそれを頑なに拒み、私の腕を思い切り強く振り払った。どうやら、皆に泣き顔を見せたくないらしい。
F 幼い彼女の中に芽生え始めた、可愛らしい自尊心と自立心を尊重し、私は敢えて振り向きもせず、皆が待つ外の送迎車の所まで歩を進めた。小道の奥の蓮池を背に、芝生の上で佇むのはティカレビだ。いつもの“定位置”から皆を見送ってくれている。私は車に乗り込んだ。また再会する日まで、当分の間、彼女達ともお別れだ・・・ドライバーが車のエンジンキーを回した。

 その時だ! アプサラとアーシャが、小走りで門扉の陰からホスピスの外へ飛び出して来た!!親子で手を振っている。二人とも満面の笑顔だ。まり子アンティも満面の笑顔で、仲睦まじい親子に大きく手を振り返している。

 たった2〜3分のことである。その間に、アプサラとアーシャは急いで涙を拭い、とびっきりの笑顔を見繕って、我々との別れの挨拶のために門の外へ出てきてくれたのだ!こんなに素敵な親子なのに、お似合い過ぎるほどの母と子なのに、僅か数年前まで、アプサラが我が子アーシャのことを全く愛せなかった時期があったなんて、今の二人の姿からは到底信じることなどできない。

 たった数分間の小さな出来事に垣間見えた、余りにも壮絶で過酷な、それでいて溢れんばかりの慈愛に満ちた、波乱万丈の親子のストーリーに想いを馳せた瞬間、柄にもなく私まで目頭が熱くなってしまった。
G ホスピスでの別れの言葉。ことあるごとにラリグラスの関係者から、支援先の女性達や子供達へ伝えられてきた、今までは「少し大袈裟過ぎる」とも感じていたその言葉。このスタディツアーを通じて、その言葉は決して大袈裟でも、無責任なまやかしの言葉でもなかったことが、漸く私にも理解できた。

我々ラリグラスの仲間は、あなた達のことを
決して見捨てない。
決して裏切らない。

我々ラリグラスの仲間は、あなた達のことを
いつでも真剣に考えている。
いつでも大切に想っている。

 勇気と優しさを我々に与え、同時に自らの未来を我々に託し、全てを信じ切ってくれている彼女達。
 高く抱き上げてその顔を覗き込めば、とても愛くるしい瞳でこちらを見詰め返してくれる子供達。

 もう二度と、この子らの笑顔を絶対に失いたくはないから、また必ず君達に会いに行きたいから、これからもずっと、私はラリグラスに関わっていこう、そう心に決めた。
 遠い異国の友らを支え続け、いつまでも優しく、いつまでも暖かく、最後の最後まで見守っていこう、そう自分に約束した。
5:「スタディーツアーに参加して」

高柳さん

(東京都 学生)
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@ 私がスタディーツアーに参加したのは、ネパールという国と、少女人身売買問題の現実を実際に見たかったからです。2年前に、まり子さんのご講演を聞いて、少女人身売買やHIV/AIDSに興味を持ちました。日本では、本を読んだり、大学で国際協力系の授業をとって勉強したり、頭でなんとなく理解することしかできませんでした。

 現地を見ることでその問題があるということを実感することは、問題が本当にどういったものであるかを教えてくれると思い、参加しました。ツアーに参加して、実際に見て、見えてきて、わかったことは多かったです。

 ホスピスには、考えていたような悲しさはなく、普通でした。ホスピスの女性たちは、暖かく迎えてくれて、いつも笑顔でした。人間はいつか必ず死ぬものだけれど、目の前にいるこの人たちは、それが早い時期に、確実に来るという不安を抱えている。この悲しい現実と、目の前にある明るさのギャップを感じ、この状況が普通にあることに驚きました。

 普通な人が人身売買の被害者で、普通に異常なことが起こっていることに、怖さを感じました。また、訪問中、映画を見に行ったり、買い物へも行きましたが、こんな普通のことができるのも1年に2回。女性たちが、忙しくしていないと、暗いほうに暗いほうに考えていきがちであると伺いましたが、ホスピスで、日常楽しめるようなことがもっと増えるといいなと思いました。
A というように、ホスピスでは色々と感じること、考えたことも多かったのですが、ショータイムでは女装・男装・ヨサコイ・手品と私も笑いっぱなしになりました。ガネーシャジイにダンスがうまいとほめられるなど、自分でも新境地が開けた気分でした(笑)新境地といえば、ネパール映画をおもしろいと思った日本人第一号になったこともいい思い出です。

 女性たちの楽しそうな顔は、忘れることができません。私は彼女たちに直接的に役にたつことはできませんが、彼女たちに会って、この問題を知ったことを忘れてはいけないし、もう目はそらせないです。大きなことはできないけれど、小さな行動を始めて、続けていこうと思いました。

 NDWSでフィールドワークをさせてもらって、すごくよかったです。障害児問題には、今まで興味がなかったのですが、ゴダワリとチャパゴンを訪問し、この問題の大きさに気づきました。村の中の、近所にあんなにたくさんの障害を持った子供たちがいることに驚きました。

 ゴダワリの村人の、障害児と共に生きようとする姿勢をすばらしいと思いました。また、チャパゴンの貧しさには言葉もなかったです。あんなに貧しいところを、私は見たことがありません。
B フィールドワークをして、この人たちは逃げられない人たちだということを感じました。障害からはもちろん、山間の村からも、カーストからも、貧しさからも。だからこそ、支援することが必要なんだと思います。ツアー中、支援のあり方について考えさせられる場面がありました。

 支援とは、公平なものであるべきです。でも、支援者のエゴが強すぎるとき、それは、不公平なものに変わってしまいます。人間には欲が必ずありますが、それが人助けの際に発揮されると、支援先をダメにしてしまう可能性をはらんでしまいます。支援には、その助けるべき問題の本質は何で、何をすべきなのか、をきちんと把握して取り組む必要があると思いました。

現地のニーズを把握し、相手の立場に立つことが重要なんだと思います。支援をする側は手を引くことは簡単ですが、支援をされていた側は逃げられません。

C 誰のための支援なのかを考える必要があると思います。ラリグラスの継続的な支援と、支援先の人々をひとりひとり把握して、ニーズを汲み取る支援方法はすばらしいと思いました。

 スタディーツアーに参加して、多くのことを学び、感じることができました。企画・引率してくださったまり子さんをはじめとするスタッフの方々、ツアーに一緒に行ったみなさん、ありがとうございました。

 ヨサコイがタコオドリになっていた私がちゃんと踊れるようになったのは、ホテルで夜練につきあってくれたみなさんのおかげです。日本でも、ネパールで学んだこと、感じたことを忘れずに、行動しようと思います。
6:「スタディーツアーで感じたこと」

田中さん

(山梨県 学生)
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@ ネパールへ行ってみたい。国際ボランティアをしたい。という理由でこのツアーに参加しました。ラリグラスのツアーを見つけた時は、一週間も申し込み期間が過ぎていたにも関わらず参加させていただけたことをありがたく思います。そして、このツアーに参加して本当によかったと感じています。

 ネパールに行きたいとは思っていたものの、ネパールのこと、人身売買に関することはほとんど無知で勉強不足の私には始めて知ることも多く、毎日考えさせられることだらけでした。とはいっても決して勉強ばかりではなく、踊ったり、寸劇をしたり、まり子さんをはじめとするみんなと過ごした二週間は本当に楽しいものでした。ネパールのごはんは美味しいし、子供たちは本当に可愛かった。学んで、踊って、楽しんで。まさに盛り沢山のツアーでした。

 マイティネパール、NDWS、トランジットホーム、様々な場所に訪れネパールの現実、NGOのことを知りました。その中でも特に心に残っているのはホスピスの女の子達、子供たちとの交流です。最初はホスピスの女の子達とどう接すればいいのか、彼女達は楽しんでくれるのか不安でした。

A でも、ホスピスに到着すると言葉は通じなくても大丈夫だと聞いていた通り、何となく言いたいことは分かったし、一緒に遊んでいるといつの間にか不安はなくなっていました。女の子や子供たちの楽しそうに笑う顔を見るのがうれしくて、一緒に過ごすのが心から楽しいと感じていました。

しかし、彼女たちは一人一人それぞれ辛い過去があって、大きな不安を抱えています。何かをしていないと“死”というものを考えてしまう。そう思うとその笑顔が切なくも感じました


 そして、そんな女の子たちのためにお金の援助だけでなく、ビーズ指導や彼女たちが取り組めることは何なのかを真剣に考えて行動し、継続していくラリグラスの活動こそ本当の支援なんだろうなと思いました。

 また、私は今回ホスピスを訪問したことでHIV感染者に対する思いが変わりました。エイズは日常生活では感染しないということは学校やテレビで知り、分かったつもりでいましたが、HIV感染者と普段全く関わりのない自分が、実際交流するとなるとどこまで接していいのか、少し不安もありました。でも今回彼女たちと交流して、不安に思っていた自分、何も分かっていなかった自分が恥ずかしくなりました。

B 彼女たちは本当に普通の女の子と変わりありませんでした。私が普段友達と接するのと全く変わりなくて、不安はすぐに消えました。結局私はエイズについてきちんと理解できていなかったのです。今回、まり子さんからエイズについて説明していただき、女の子たちと出会って交流することで、以前に比べエイズについて理解することができました。それは私にとってはとても大きなことだと感じています。

 5日間の間、女の子達は身体の調子が悪い時もあったと思います。それでも私たちに見せてくれた笑顔を絶対に忘れません。

そして、CBRプログラムです。障害に対する政府の支援がなく、大きな不安を抱えている障害児の両親にとって、フィールドワーカーさんの訪問はとても大きな救いになっていると感じました。そして、一軒一軒でこぼこの山道を通い、厳しい状況のなか変わらぬ温かい笑顔で接しているワーカーさん、障害を持つ子供の家族から大きな愛情が伝わってきました。
C また、チャパゴンという場所の障害児の多さには驚きました。一人の障害児に会ったかと思えば、ちょっと歩くだけでまた違う障害を持った子供に出会う。ネパールの貧困や環境を改善していかなければ障害児の割合は減少しないのだろうと感じると同時に、その難しさも知りました。

私一人が人身売買の被害にあった女の子や貧しい人々にできることは、限られています。でも、私は私に出来る小さなことから始めていきたい。そして、自分がこのツアーで見たネパールの現実、人身売買のこと、とても少ない知識かもしれないけれど身近な人からでも伝えていきたいと思います。

 最後に、今回のツアーを楽しく終えることができたのはまりこさん、ラジャさん、一緒に参加したみんな、そしてラリグラスのスタッフのみなさんのおかげです。本当に楽しかったです。ありがとうございました。
7:「スタディーツアーに参加して」

服部さん

(東京都 社会人)
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@「ネパーリホー」のメロディーが頭から離れない。
 「よさこい」を聴くと,踊りたくなる。
 さすがに手首にじゃらじゃらとビーズを巻き付けることは収まったものの,カトマンズで買ったマンゴージュースを飲もうとすると,きりきりと腹の痛みが蘇ってくる(ずっと元気だったのに,帰国の前日に腹を痛めたのです・・・)。

 仕事の都合上,実質ネパールにいたのは5日間で,そのほぼ9割をカカルビッタで過ごしていた私は,帰国してからも「ネパールとは何ぞや。」という疑問が頭の中を渦巻いていて,帰国した日の夕方,図書館へ走り,今更ながらネパール関係の本を借り込んでしまった(まり子さんの本も)。自分が見聞したことを客観的に知りたい,そんな気持ちだった。
A 今でも,カカルビッタのホスピスで会った女性達の顔を思い浮かべると,「援助とは?」「開発とは?」「人身売買とは?」などの疑問が頭の中を走るが,その問いに対する答えを出せないでいる。そして,ツアー中にしょっちゅうまり子さんから聞いたこと−継続することの大切さ−が,私の胸に刺さって痛い。「可哀相。」と一時的な感情に流されて,物や金を与えるだけでは真の意味の援助でないことは理解していたが,「継続」となると,これからどうしていいのやら途方に暮れてしまう。

 言い訳になるが,時間に追われ,雑事に追われる日々を送る私は,女性らに「また来るね。」という約束は口が裂けても言えなかったし,「何とかしたいから,これからボランティアをします。」と断言出来る保証も何もない。時間がないなど言い訳をしている自分にも嫌気がさす。
B ただ単に,施設を訪問するというやり方であれば,これまで経験してきた。夜のミーティング(??)を通じて振り返りと新たな知識を得ることで,現実を見ておしまい,ということは避けられたと思う。こうして日本にいる今でも,カカルビッタの女性達が,実に現実感を持って,動画で頭の中に浮かんでいることは,その証拠だと思う。一時的なかかわりではなく。

 とは言うものの,何故あんなにツアー中は固まってぼんやりしていたのか。一種のカルチャーショックだったのか?よく分からない。しかし,言葉が通じなくても,何となく通じた感じがする経験は初めてだった。未だに,ふとした瞬間に,ホスピスで飲んだチャイの甘さ(美味しかったー)や,カカルビッタのホテルで感じたまとわりつくような湿気や,ホスピスまで歩いた泥道に生えていた草の感触など,ざざざーと蘇ってくる。そういう感触が,本当にネパールに行っていたんだと実感する。
自分なりに出来ることを見付けられたらと思う。
C <おまけ>
 支離滅裂で,何が言いたいのか分からない感想文になってしまいました。どこへ行ったとか,何をしたかとかは,他の方が書かれると思うので,そちらを参照して下さい。
最後になってしまいましたが,部分参加という形を取った為,スケジュールの調整等をご配慮頂いたことを,心より感謝申し上げます。

 出発前は余りに仕事が立て込んでいて,もう行けないんじゃないか,と正直なところ不安に思ったこともありますが,今は本当に行って良かったと思います。もう,遠いよその国,他人事と思えない,と言えることは,自分にとって大きな収穫です。
8:「スタディツアー」

松本さん

(東京都 社会人)
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初めへ
@ 今回は2年半ぶりの参加でした。「また来てよかった、本当に楽しかった」というのが正直な感想です。

●ホスピスの女の子たちのとの再会がやはり一番印象的でした。

 初めて参加したときは「女のたちとどう接したらよいのか」という戸惑いはもちろん、仲良くなった後では「女の子たちと安易に、この場だけ仲良くなってしまってよいのか。私には彼女たちに”出会った”ことに対してどう責任や義務が生じたのだろう」と考えつづける日々でした。

 しかし、今回は「どう接したらよいか」という不安はなく、”友達に再会する”といううれしい期待のみで渡航準備ができ、また、滞在中も(良いことか分かりませんが)単純に「楽しい!」と思いながら過ごすことができました。

 誰かとの”出会い”は、生きている中でおそらく人間に一番大きな影響を与える”事件”であると思います。そうあまりに強く感じていた2年半前は、女の子たちとの出会いの意味について、お互いの人生に与えた影響について、人に影響を与えることの責任について、どうにか答えを出そうと必死になっていました。

A しかし、今回の滞在でこう考えるようになりました。”出会い”がもつ影響力はあまりに強く大きいので、当事者でさえそれをコンロールしきれないのではないのか、当事者(=私)にできる最大のことは、ただ誠実に接することだけではないのか、意味や責任は当事者にはうかがい知れない数々の要因によって自然に構成されるので誰にもどうすることもできないのではないか。

この考えにゆきついてから、私はただ誠実に女の子たちと接すること、そして思いっきり楽しむこと/楽しませること以外は考えずにすむようになりました。女の子たちは私たちの訪問をとても喜んでくれました、私も心底楽しかった、それが全てです。

 とはいえ、2年半の間にホスピスのメンバーがだいぶ入れ替わっていたことにはやはり感じるものがありました。ホスピスからいなくなった人の理由は、亡くなった人、親元に帰った人、カトマンズ本部で勉強をしている子(ラーマヤが、ラリグラスレポート通り、テレサアカデミーで小さい子に混ざって机を並べ、照れながらも楽しそうにしていたのが印象的でした。
B またマドゥが、非常にお行儀よく給食を食べている姿に”すっかりテレサアカデミーの子になったんだな”と頼もしくも淋しくも感じました。)、など理由は様々です。ホスピスとは、いろいろな人が、それぞれ人生の一時期をいろいろな思いで過ごす場所なのだと、改めてしみじみと感じました。(まさに人生は孤独な旅だ、とか)

 また新しくホスピスに来た人の理由は、被害者が後を絶たないばかりでなく、家庭内HIV感染やレイプによって心身に深い傷を負ったなど、多様化していることを感じました。マイティが人身売買のみならず、理不尽に困難な状況に追い込まれた弱い人を幅広く受け入れている証拠なのだ気づき、その活動のすばらしさを再認識しました。

C
 ●NDWSのフィールドワークに初めて参加しました。
 前回は短縮コースであったため、きちんとNDWSの活動に接したのは初めてでした。日本でも障がい児に接した経験がありませんでしたが、よく人のいう「その素直で愛らしい表情が天使のようだ」という気持ちが大変よく分かりました、私にも実感できました。また家族がとても子供を慈しんでいる様子に心が洗われました。実際に見てみること話してみること・接してみること、がやはり何より大切で、本質に近づく王道であることを再度頭に叩き込みました。
D また、今回は、寄付のみに頼らず自分達も最大限努力して手術を成功に導いたというすばらしい例の進行過程を伺うことができました。その話の中でNDWSペアレンツ協会の人に「日本人が遠くから来て頑張っている姿を見て」との発言がありました。現地では、人々の認識を変化させるきっかけとして、私たち日本人の活動する”後ろ姿”が役に立ったと知りました。

 個人的には「偏見や差別をどう無くしてゆくことができるのか」に非常に興味があり、NDWSを通じての私のテーマでした。この答えも、実際に・・・の機会を増やしてゆくことはもちろんですが、人々の偏見や思い込みを変化させる起爆剤として、”まず誰かがやる”というスタートをしっかりしなくてはいけないというセオリー、そして、継続が非連続を飛び越える力になるのだということを実感しました。
E
 ●これからも出会った人たちのを思い出し、自分の元気の元にしながら、その人たちの元気の元になれるよう日本でも頑張って活動してゆきたいと思います。「何もできなくても、人に迷惑かけても、それでも”あなたが生きていてくれるだけでうれしい”」と言ってくれる人が必ずいることを知ってもらいたい。そしてこのメッセージを受け取れていない人のために、私メッセージを発し続けてゆきたいと思います。

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